「高島らしさって、どんなことなんだろう」高島で働き、暮らす人に、聞いてみました。

びわ湖の西側に位置します、高島市。今、自然の豊かさや落ち着きのある風土、子育てに恵まれた地域性や環境を求め、高島の地への移住を志向される方がおられます。
そんな方々が、ここ高島に感じている可能性の本質は何なのか。当たり前すぎて見過ごされている「足元の価値」をしっかりと見つめ、日常を新しい目で眺めることにより、
高島の豊かさを実感しなおすこと、当たり前にあるものに気付くことこそが、「高島らしさ」に通じるものと考えました。
自然の豊かさ、人のつながりの温かさ、子どもがのびのびと遊べる環境など、多くの人が感じている高島の良さを、今、高島で働き、暮らしておられる20名の方に、
Work Life Storyとして、お聞きしました。
冊子「Work Life Story in たかしま」をご要望の方は、高島市市民協働課までご連絡ください。(TEL 0740-25-8526)
もしくは、ホームページ右上のお問合せボタン(メールフォーム)から資料請求をお願いします。

詳細は、各Episodeの写真をクリックして頂くとPDFが表示されます。

 Episode 01

浦岡 麻美さん 京都市生まれ。
4歳の時に高島市へ。
2012年、新旭電子工業株式会社入社。
高島市は人との距離の近さに心地よさを感じています。店などは少ないが、その少なさが人との出会いや人とつながりを作っていると思います。

チームでものづくりのおもしろさを感じている

高校の授業で先生が紹介していた会社へ

高校は理系で物理・化学を選択していたので、大学は高校では学ばなかった地学を選び、地球学科へ進学しました。大学で印象に残っているのは、3~4名のグループで1 つの山を一年がかりで地質調査をする課題です。
岸和田市の神於山を調査対象とし、調査計画を立て、調査を実施し、記録をまとめて発表しました。チーム力、考える力、まとめて発表する力などがつきました。
就職は、就職セミナーに参加し、そこで会社名を見たとき、高校の授業を思い出しました。先生が「高島市内にも電気関係のすごい会社がある。ニンテンドーDSなどのゲーム機にも使われているソフト基板を作っている会社だ」と紹介され、 近いところにすごい会社があるのだという印象が残っていました。会社説明をお聞きして、社員同士の距離が近く、親しみやすい印象を受け、入社試験を受け、採用となりました。

チームを組み、考え、作っていくおもしろさ

入社後、電子基板はテレビ、エアコン、ゲーム機、炊飯器、LED ライト、車など生活のあらゆる電気製品に使われていることを知りました。配属はプロセス技術課で、基板に塗る新しいインクの開発を担当しています。
プロセス技術課で女性の採用は私が一人目です。入社当初、男性の先輩の中で緊張もありましたが、入社して4年、今では話しやすい職場です。 以前、使い捨てられる部材を再利用できないかと、現場や課内の人に相談する前に、自分で1~2ヶ月ほど検証し、結局、結論に持っていけず、製造現場や上司に相談してやり直した事がありました。自分で進める前に相談し、チームで検討することが大事だと痛感しました。

 Episode 02

河本 尚子さん 大阪府藤井寺市生まれ。
2012年、株式会社澤村に入社。
総務部(一級建設業経理士)
現在小学2年生の母。高島は、ほどよい田舎。すぐ側に、山もあり、琵琶湖もあります。ずっと高島で生きてこられた方の中には変化を好まれない気質を感じることも。

田舎での子育てをめざして高島に

のびのびした田舎での子育てと仕事との出会い。

中学生の頃、空港で見たグランドホステスのきびきびとした仕事を見て、「かっこいい!グランドホステスになりたい!」と思い、日本航空へ就職しました。約4年間、関西空港で念願のグランドホステスとして働きました。
学生時代の卒論発表時に、湖西にある大学の施設に来た時、琵琶湖沿いの風景がとても印象的だったのと、のびのびと子育てできるところと考えて、2009年に高島で暮らすことを決めました。
子育てしながら自宅の近くで仕事をしたいと、募集が出ていた現在の会社のパートの事務職に応募しました。入社前に抱いていた建設業界のイメージとは異なるものでした。子育てしながら働くことへの理解もあり、働きやすい雰囲気もあり、この会社で長く働きたいと思うようになりました。2012年の入社後、建設業経理士2級を取得し、一年後に総務部の正社員として採用していただきました。
高島は、山も琵琶湖もあり、ちょうどいい田舎だと思います。「カニ採って来るわ!」と飛び出す子どもの姿に、高島での暮らしの良さを感じます。伝統を守る城下町の風景があり、新しいチャレンジをしながらまちの良さを伝えていく工夫もある。
地域の祭りなどに子どもと参加し、地域の人とのつながりを感じることが出来ます。伝統を守ってこられた反面、新しいものや考え方への抵抗感を少し感じることもあります。

 Episode 03

横山 草平さん 京都市生まれ。
2015年、田中建材株式会社入社。
高島は、風の音、静かさがいいですね。ふとした景色に季節が感じられ、休日など、ゆっくりできるところがいいと思います。

リストラから出会った地元企業

大学は農学部へ進学しました。幼い頃に家族で高島に引っ越し、庭いじりやアウトドアが趣味の両親の元で、家の周りには農作業の風景が当たり前のようにありました。
そんな姿を小さな頃から見ていて、自然や農業に関心を持つようになったと思います。種苗会社に就職し、高島市内で品種改良と種子生産の仕事をしました。その後、京都の本社で種子の回収や選別の仕事を2年間しました。
しかし、2014年8月、リストラで退社することになりました。愕然としました。納得いかない気持ちでいっぱいでした。
ハローワークで紹介された、「滋賀の“三方よし”人づくり事業(滋賀県の若年者就業支援事業:2013年3月終了)」に参加し、3ヶ月間、草津市へ通いました。ビジネスマナーや社会人の心構えなどを学びながら、就職活動をしていました。 ここで、同じ目的の仲間に出会い、友人が増えました。また、この事業のマッチングイベントで今の会社と出会いました。

仕事をとおして社会の見え方が変わった

仕事は、パソコンでの事務処理、現場での作業が主な仕事です。都道府県から出される道路や公園を作る案件整理と、新たな工事に当社の舗装技術が合うかどうか、上司に確認して提案営業できる資料を整理しています。
地方自治体や県内の建築コンサルティング事業者の方にも営業に伺います。まだ建設技術や資格が無いので、できるだけ現場で技術を知り、知識を得るようにしています。倉庫の整理などをして道具の名前を覚えたり、大型車両や特殊車両、建築施工管理技師の試験などの資格取得をめざして勉強もしています。
道や公園を見ると、当社の技術が活きるのではないかと思い、段取りなどを考えるようになりました。社会の見え方が変わったと感じます。営業する上でも現場を予測し、営業することが大事だと感じています。

 Episode 04

増田 英信さん 高島市生まれ。
株式会社マスダ 
現在1歳児の父。休日は家族で市外へ買い物に出かけることが多い。高島は四季をとおした風景の変化が観光資源だと思います。

父から引き継いだ“高島ちぢみ”

大学時代に初めてじっくり工場を見た

大阪の大学で機械工学を学びました。家業である織布工場を継ぐという意識は無く、関心があった分野へ進学したという感じです。学生時代に初めて家の工場でアルバイトをし、主に機械や工場内の掃除をしましたが、その時、初めてじっくり工場の中を見た気がします。
3回生の頃、父から会社を継ぐように言われ、卒業後すぐ兵庫県立工業技術センターで3 ヶ月間研修を受ました。そこでは織物の基礎とドビー織機を使ったドビー織り※について研修を受けました。布の切れ端から1本1本糸を解き、どのように織られているのか設計図を描く日々でした。
元々細かいことが好きですし、新しい技術を学ぶのはおもしろかったですね。研修を受けて、父が導入したドビー織機を十分に活かす技術を学ぶことができました。生地から製品の設計図を作れるようになり、現在は、イメージから設計図を作ることができます。
新たな製品を生み出せるようになり、これまで注文どおりの物を生産するだけだったのが、こちらからも製品を提案できるようになりました。

日本でしか創れない、日本人に合ったものづくり

展示会での出会いから、話合いを続け、3~4年経過して注文につながるものもありますが、自分が考えた生地の発注が決まるとやりがいを感じます。リスクもありますが、付加価値をつけていくおもしろさと責任を感じます。布製品は最新設備が東南アジアなどにも入り、安い輸入品との競争です。
また、真似されるのは当たり前の業界です。しかし、大切なのは日本でしか創れない、日本人に合ったものづくりをすることだと思っています。

 Episode 05

木津 陽介さん 高島市生まれ。
2000年、パン・ドールを開店。
生まれ育った町で、地域の人とつながっている安心感があるところに、高島の良さを感じます。

生産者の思いを伝えるパンづくり

子どもの頃からものづくりが好き

祖父の代からのパン屋に生まれ、ものづくりや料理の好きな子どもでした。パン屋を経営する両親を手伝って夕食なども作っていました。中学生の頃には、パン屋になろうと思っていました。身近に道具があり、ものを作る環境が整っていたと思います。
高校卒業後はパン屋へ見習いに入ろうと考えていましたが、両親の勧めもあり、愛知県の大学へ進学し、経済学部で学びました。大学時代はいろいろなパン屋を回りました。フランス人が経営する「ドミニクドゥーセの店」のパンがおいしくて、思わずバイトさせてほしいと飛び込みました。
その店でのバイトでは、朝5時からたくさんパンを作りました。徹夜でパンを作り、大学に行くのを忘れた日もあったくらい熱中しました。卒業後も同じ店で一年間修行しました。毎日100本のバゲットを焼き、大量にクオリティを揃えて作る、いい経験になりました。

Pain D’or(黄金のパン)を開店

2000年にこの店を始めました。父とは味も店づくりも違うので、新しい店を建てました。フランスパン、クロワッサンなどを中心に、毎日食べても飽きない、安心して食べられるパンづくりをめざしました。
低温長時間発酵で材料のおいしさを引き出しています。思い入れを持って作ったものをお客様に毎日出す。全て修行した店が基本になっています。しかし、当時はパンといえば菓子パンや惣菜パンを求めるお客様が多く、作りたいものとお客様が求めるもののギャップに悩みました。
少しずつ惣菜パンなどの種類を増やし、今は50~60種類のパンを1日約800個焼いています。お客様は多い日で100名前後来られます。市内の老人施設、保育園、ホテル、レストランなど約10カ所へ配達もしています。

 Episode 06

井上照恵さん 大阪市生まれ。2歳の頃に京都市へ。
1998年、マキノ病院に就職。
高島は自然が多く、人が親切なのが魅力だと感じます。両親が畑をしているとご近所の方が何かと教えてくれました。風車村など子どもが広々としたところで遊べるのもいいと思います。

小学生の頃からなりたかった看護師に

京都で育った子どもの頃、母が看護助手として病院に勤めていたこともあり、看護師は身近な存在でした。小学校2年生のとき、祖父が心臓の病気で入院しました。看護師さんは患者である祖父だけでなく、家族の私たちにも優しい言葉をかけてくれていたのが印象に残っています。そんな出会いもあり、小学生の頃には看護師になりたいと思っていました。
京都府内の看護学校へ進学しました。看護実習は大変でしたね。朝から夜まで続く実習は、“記録”がメインです。治療や処置、患者さんの経過など、記録することは非常に多く、重要な業務です。一つ一つに的確で厳しい指導があり、するべきことと記録に追われていました。
実習中、脳外科で入院されていた患者さんとの出会いは強く印象に残っています。担当した初めの頃、全く反応がなかった患者さんが、車椅子で一緒に散歩へ出たり、手や足を洗ってあげたりしているうちに、反応を示され、表情も出るようになっていかれました。患者さんの回復を目の当たりにし、大きなやりがいを感じたのを覚えています。
実は、1993 年頃に両親が今津に別荘を建て、時々、家族で遊びに来ていたのですが、私の看護学校卒業を機に両親がその別荘に移住しました。私も今津で一緒に住み始め、市内で看護職を探し始めました。マキノ病院は、受付や外来患者さんとの雰囲気が良く、スタッフも活き活きとされている印象を受け、就職を決めました。

4歳の娘が看護師になりたいと言うのがうれしい

長く働き続けたいと思っています。市内で夫と出会い、結婚して、今は新旭から通勤しています。4歳になる娘がいますが、保育園のお休みには今津に住む両親が子どもの面倒を見てくれるので助かっています。娘は救急車を見ると「ママが乗っている!」と言うそうで、「看護師になりたい」と言ってくれるのがうれしいですね。
また、職場はみんな仲が良くて、楽しい雰囲気があるのもうれしいです。病院には託児所もあり、子どもができても働きやすい職場なのですが、結婚を機に看護師を辞めていく現実があり、いつも求人が出ている状態なのが課題ですね。

 Episode 07

荒川 貴一さん 大津市生まれ。
2012年、高島市民病院に就職。
気持ちの切り替えに休日はバス釣りや友人とスノーボードへ。男性看護師同士のメンズ会での飲み会も楽しみです。

退院後の生活までも考える看護を

母の仕事に憧れて看護師へ

母が看護師で、子どもの頃から看護師に憧れがあり、高校卒業後、滋賀県立総合保健専門学校へ進学しました。さまざまな病院での実習では、患者さん一人を担当し、それぞれの患者さんから多くのことを学ばせていただきました。 学校では奨学金制度を利用して学びました。私が利用した制度では、卒業後は高島市民病院に3年間勤めるというものでした。看護師になるための奨学金制度は、経済的な面では大変恵まれた制度だと思います。ただし、そのために勉強するべきことは沢山ありますが。
配属は外科系入院病棟です。初年度は約半年経った頃にローテーション研修として、院内の各科を2週間ずつ経験していきました。2年目からは、受け持ち患者さんを持ち、入院から退院までを担当していきます。月に6~7名を受け持ちますが、入れ替わりが激しい病棟なので、早い方ですと3日程で退院される場合もあります。

入院から退院、その後の日常生活までを考えて

患者さん一人ひとりに多職種のスタッフとチームを組み、退院まで対応するのですが、退院に向けての指導や方向性を決めるのに、中心になるのは受け持ち看護師です。
例えば、人工肛門の手術を受けられた方の場合、手術後の排泄で変化が大きく、日常生活のために指導が必要になります。そこで看護師が中心となり、医師やリハビリ担当者、退院後に対応する訪問看護などとチームを組み、患者さんの退院、日常生活への復帰に向けたサポートについて検討します。 入院中の経過をまとめた看護サマリーは退院後の訪問看護にも重要となり、退院後も担当看護師の責任が続きます。
医療は日々進歩しており、30年仕事されている先輩でも日々勉強だと言われます。看護師には認定看護師という資格があり、専門性を高めていくこともできます。5年間の実務経験を積み、さらに専門の学校で学ぶ必要がありますが、私自身もいずれは皮膚・排泄ケア認定看護師を目指したいと考えています。専門性の高い看護師をめざし、長く仕事を続けたいと思います。

 Episode 08

三矢 大輔さん 高島市生まれ。
2004年、高島町社会福祉協議会に入社。
5歳、3歳の父。高島の良さは、自然や地域の人のつながり、子どもと地域の行事や祭りも楽しめ、癒しと安心を感じるところ。高島は子どもを育てるのにもってこいだと思います。

介護職は人の笑顔が自分の幸せ

父が税理士事務所に勤務していた影響もあり、大学は経済学部に進学しました。4年間、税理士を目指す仲間と簿記会計研究部で活動していました。就職は、アパレル会社の小売部門で埼玉の店舗販売に就きました。職場では、日々の全てを仕事に費やすのが当然という、働く現実を叩き込まれました。自分の時間や家族との時間が無い生活をする先輩や上司を見て、 自分も同じような将来を歩むことに違和感が生まれました。

「ありがとう」人の笑顔が自分の幸せに

父の病気をきっかけに、実家に帰ってきました。就職活動を始め、高島市社会福祉協議会を知りました。コミュニティワーカーとして働いていた同級生から話を聞き、地域に関わるいい仕事だと感じました。最初、通所介護施設に配属となり、利用者さんの暖かい「ありがとう」の言葉に「あぁ、こういう仕事があるんだな」と感動しました。通所介護施設で3年勤務し、 主任として職員のマネジメントや施設全体のプログラム作りなどを担当するようになりました。さまざまな研修にも参加し、通信教育で社会福祉士の資格を取得し、さらに介護の仕事を続けていきたいと感じて、介護福祉士、ケアマネジャー資格も取得しました。
職員の育成にやりがいを感じています。職員が「利用者さんにとって良いサービスとは何か」を考え、理解し、自主性を発揮して、私の想像を超えるアイディアなどを出してくれる時は嬉しいですね。また、夏祭りの参加者や協力者が年々増えており、地域づくりを実感しています。祭りに関わってくださった地域の役員さんは、任期を終えても関わり続けてくれています。
認知症の利用者さんに対して、職員が理解を深め、一人ひとりに合ったサービスを提供したいと思っていますが、まだ難しさも感じています。
認知症に対する地域の理解を広げることも大切だと考えており、出前講座を開いたり、祭りなどで直接、認知症の方と交流してもらっています。地域に開かれたサロンやカフェの運営で、子ども、現役世代、高齢者が交流する場を地域の方々とともに作って行きたいと思います。

 Episode 09

川島 和久さん 高島市生まれ。
2000年、(社福)虹の会に入社。
10歳、4歳、1歳の父。高島は人と人のつながりがいい距離感であると思います。地域の行事などは地域との関りもあり、人との触れ合いがあるのがいいと思います。

誰にとっても暮らしやすい地域づくり

将来のイメージが無いまま、大阪の大学で経済学を学びました。アパレル小売店のバイトがおもしろく、DCブランドの小売店に就職しました。お客様とのコミュニケーションが楽しくて、性格に合っていました。しかし、服にかかる出費が大きな負担だったのと、ノルマをこなすためには本意でない販売をすることもあり、2年後に退職しました。その後、ハローワークで社会福祉法人虹の会の求人に出会いました。

障がい者や家族の相談から地域づくりへ

障がい者施設での仕事については全く知らなかったのですが、新しいものへ向かっていく性格ですね。
知的障がい者の就労支援施設であるアイリスで、重度障がい者を担当しました。リサイクル事業で空き缶をつぶす作業の補助でしたが、作業の合間に散歩や音楽など楽しみの時間も作って、毎日を楽しく過ごせる居場所づくりを皆で考えていました。 2年後、障がい者のデイサービス、相談事業、居宅介護事業を行う湖西地域障害者生活支援センターわになろうが新設され、立上げのスタッフとして異動し、10年間仕事をしました。障がいのある人や家族の相談に対応し、必要な他の施設のサービスをつないだり、地域へ出向いて理解や協力をお願いしたり、相談者のニーズを充足していく仕事です。地域の中で障がいのある人が安心して暮らすためには、障がい分野だけでなく、 教育、医療、民生委員など、様々な分野の人々との連携が必要です。地域の方との連携づくりは、視野も広がり、おもしろい仕事でした。
高島市障がい者総合支援センターコンパスの立上げに副センター長として関わりました。障がい全般に関して総合的な相談対応ができるセンターとして、市内各施設の精神障害、身体障害、知的障害などの専門スタッフと共に立ち上げました。また、新しい施設について、地域の方々などに周知活動をしました。障がいのある人が地域社会の一員として生きるための、地域の理解と協力の輪を広げる地域づくりを担いました。
2014年10月に高島市観光物産プラザでオープンした「 Mizu Café COCCO」は、地域で働く一つのスタイルとして、誰もが自然と障がいのある人の働く姿を見て、理解されることをめざしています。地域に必要とされる、新たな働く場所ができたと思います。

 Episode 10

平山 勇次さん 高島市生まれ。
2009年、株式会社ヤサカ入社。
三ヶ月前に子どもが生まれた。高島は、空気がいいし、地域には人のつながりがあり、暮らしに安心感があると思います。休日は大津へ買い物に行くが、都会へのアクセスがいいのも良いと感じています。

自動車整備から福祉用具の世界へ

自動車整備士をめざして自衛隊へ

小さい頃から車が好きで、自動車整備士になりたいと思っていました。自衛隊に入れば、整備を経験しながら資格の勉強もできると考えて入隊を決めました。
自衛隊では、基礎教育の後、自動車整備の基礎を学び、大阪の整備部隊に配属され整備や車検などの経験を積むことが出来ました。
20代後半に、将来のことを考えるようになりました。結婚して、子どもを育てるなら田舎がいいと感じていましたし、実家の両親のことや農地のことも考えるようになりました。今津にも自衛隊駐屯地はありますが、整備の部隊ではなかったこともあり、26歳のときに退職を決め、実家に戻りました。
職探しでは、話すことが好きだし、営業に向いているのではと思っていました。また介護保険制度がスタートし、介護の仕事も気になっていました。ハローワークからの紹介で就職を決めましたが、全く経験の無い分野でも割と楽天的に考えていましたね。

ずっと勉強ができる仕事に魅力を感じた

入社してから3ヶ月間は、先輩と一緒に福祉用具を届ける現場を回り、先輩の仕事から用具の組み立てや説明の仕方などを学ぶ研修でした。この研修で福祉用具のイメージが変わりました。
車椅子や歩行器は単なる移動手段の道具ではなく、適正なフィッティグによって、使う方の姿勢が保たれ、快適な生活の助けになると知りました。また、福祉用具レンタル事業は、利用者の生活状態などを把握されているケアマネージャーからの情報を元に、その人に合った福祉用具を用意する仕事であり、 ケアマネージャーとの信頼関係が不可欠だということも分かりました。
ご利用者様からの「楽になったよ」との感謝の言葉にやりがいも感じられ、どんどん変化する福祉用具についても、ずっと勉強ができる魅力ある仕事だと思いました。

 Episode 11

田中 潔さん 京都市生まれ。
2014年、うねの農園で農業を始める。
高島での暮らしの中で、人のつながりができました。同年代の友人もでき、休日は友人と京都へ遊びに行っています。

農業を魅力ある仕事にしたい

10年後を考えて、農業へ転身

高校卒業後、家の内装に興味を持っていたので、インテリア専門学校で学びました。卒業後、就職活動もしていましたが、専門学校で出会った高島市内の工務店の方に声をかけていただき、就職しました。大工の知識は全く無かったのですが、仕事の中で木の刻み方や道具の使い方などを覚えていきました。
21歳で、現在住んでいる今津の空き家で一人暮らしを始め、工務店で仕事を始めて10年が経った頃、地区内で農業をする釆野 哲くんが「一緒に農業をしないか」と声をかけてきました。釆野くんは同い年で友人でもありました。ちょうどその頃に体を壊していたこともあって10年後も大工を続けていくのは難しいと感じ、農業経験が無いこと、給料、農業の将来性など、一年間考え、工務店を退社し、2014年にうねの農園で農業をしようと決めました。

植物の成長する姿とお客様の声がうれしい

うねの農園では、約17町の水田でお米をつくっています。お米は高島の自然と人に優しい有機栽培や環境こだわり栽培を実践しています。冬には漬物用の赤カブの栽培をしています。釆野くんは自分が加わることで家族経営から一歩踏み出して、経営規模の拡大と新しい作物の栽培に挑戦したいと思っていたそうです。実際に今は大豆、大麦、玉ねぎの生産に取組み始めました。
植物の成長していく姿を見ることに楽しさを感じていますが、同時に気候の変化で収量が変わるなど、難しさも感じます。直接販売しているお客さまからは喜んでいただける声が聞こえるのがうれしいですね。釆野くんとは経営に関する話などもしており、こだわりを持って品質と美味しさを向上させながら、収益を増やし、雇用も増やせるようにしたいと話しています。

ここに住み始めて15年が経ちました。

近所の方には、一人暮らしをしていることを気にかけていただきました。地区の川掃除や水路の補修、草刈りなどに積極的に参加したので、地区の人と顔がつながり、かわいがってもらいました。地域の祭りにも参加し、ここの暮らしを楽しんできたと思います。そんな中で、やってもらって当たり前でなく、感謝の気持ちを持つこと「ありがとう」と相手に言うことを大事にしています。

 Episode 12

上山 新さん 高島市生まれ。
2012年、西びわこ農業協同組合入組。
高島市は自然の多い中で、働きながら農業ができるのがいいと感じます。奥地の農地が荒れていることが気になります。

たくさんの人とつながることにやりがい

ふと、地元朽木のことが頭を過ぎった

岐阜県の大学でスポーツ経営学科に進学しました。高校卒業後、就職しようとも考えていましたが、高校から引き続き大学でも野球がしたいと思い進学を決めました。大学では、プロ野球の球団経営やマーケティング、PR戦略に加え、スポーツ栄養学などを学びました。岐阜での一人暮らしは家事にさえ慣れれば比較的便利の良いところだったので楽しかったですね。
就職活動ではスポーツ用品メーカーなどスポーツ関連の企業を視野に入れていましたが、ふと、地元朽木のことや家族のことが頭を過ぎりました。同級生の多くが地元から出ており、みんな外へ行ったら朽木はどうなるのだろうかと。父は、すぐに高島に戻ってこなくてもいいと言ってくれましたが、長男としていずれ帰るのであれば、高島で就職しようと考えるようになりました。
高島市内の就職情報は多くはなかったのですが、大学の就職センターの紹介でJA西びわこに出会い、就職することにしました。当時は、JAというと農業に関係するという以外は具体的なイメージはなかったですね。

お客様から「JAの上山さん」と呼んでもらえるように

大学卒業後は、県内16JA合同の新人研修で、JAの事業はもちろん、日本の農業の実情なども学びました。
入組後は、朽木支店で信用外務の業務に就き、集金や定期貯金、積立貯金などの商品販売を2年間経験しました。初めは先輩について朽木を回りました。朽木が出身ということもあり土地勘はありましたが、朽木全部を回るのにこんなに時間がかかるとは思っていませんでしたね。現在、入組して3年目となり、JA共済ライフアドバイザーという共済提案認証を受け、朽木、安曇川で保障設計プランを提案しています。
お客様と話して、より良いプランを提案するのですが、時代とともに新しいものが出るプランをどう説明すれば分かりやすいか、日々、試行錯誤です。いざという時に、役立ててもらえるように内容を丁寧に説明し、納得してご加入いただけるように心がけています。ご契約後、組合員・契約者様がご契約内容をお忘れになることもあります。そのためにも、普段から、組合員の皆様とお話し、共済について思い出してもらえるようにしています。
最近は、組合員の皆様から「 JAさん」ではなく、「 JAの上山さん」と呼んでもらえるようになりました。嬉しいですね。今後は、共済のことだけでなく、営農のことも勉強していきたいと考えています。仕事は覚えることがたくさんあり、さらに頑張ろうと思っています。

 Episode 13

遠藤 沙織さん 高島市生まれ。
2005年、高島地域観光振興協議会へ。
現在、2児の母。高島は自然環境が豊かで、地域のコミュニティもあり、子育ての相談もできます。少々の不便さがあっても、子育てにいい地だと思います。

自然豊かな高島で子育てをしたい

学習塾で見つめなおした自身の将来像

高校時代に海外に興味を持ち、京都の大学へ進学し、国際文化学科で英語を専攻しました。卒業後、高島市内で一度就職しましたが、外でチャレンジしたいという思いがあり、半年後に京都の学習塾に就職しました。
学習塾は子どもの教育に関心があり選んだ仕事でした。子どもたちの指導は楽しく、やりがいを感じましたが、親御さんからの相談などにも対応する中で、さまざまな家庭の事情や都会の子どもたちの環境を知り、自身の将来像を考えるようになりました。学習塾は午後から夜の仕事で体力的にも厳しいものがあります。
独身で働き続けるか結婚して子育てをするか、都市に住むか田舎に住むか、と選択肢を挙げていく中で、自分が育った自然豊かな高島で結婚し、子どもを育てたいと思いました。

高島市の魅力を発信する仕事へ

ハローワークで事務系の求人の中から県事務所の募集を見つけ1年ほど働きました。この時の人の繋がりで高島地域観光振興協議会を紹介してもらい、高島郡民向けのコミュニティ誌「もりっこ通信」発行の専属職員として働きだしたんです。年4回発行のA3両面4ページの紙面ですが、高島郡6町村を巡り、文字通り東奔西走の毎日で、高島郡全域のいい所や特産品、歴史、各地域で活動する団体などを取材しました。ボランティアのライターさん、カメラの得意な方など5人でチームを組み、まだあまり知られていない情報を集め、県内にも発信しました。
取材を通じて、活動しているのは高齢の方が多いという地域の実状を肌で感じた貴重な経験となりました。
高島市の合併後、6町村の観光協会も合併しました。私は引き続き情報発信の担当として、市外へ向けて情報を発信することになりました。「地域情報誌」から「観光情報誌」を作成することは、ターゲットが市民から高島市外の観光客へと変わり、外に向けての視点に変わります。旧6町村を一大観光エリアと捉え、「歴史ゾーン」や「自然ゾーン」など特徴を整理し、「高島市」という一つの大きな括りとして外にPRすることには大変苦労しました。

 Episode 14

澤田 知枝さん 長浜市生まれ。
1996年、今津サンブリッジホテルに入社。
現在、料飲課係長。1児の母。高島のいいところを高島の人に知ってもらいたいと思っています。

お客様の人生の節目にかかわれる喜び

高島の魅力を発見!高島の方にも伝えたい。

法律関係の仕事に憧れ、大学は法学部へ進学しました。サービス業との出会いは、ファミリーレストランでのアルバイトでした。1回生から卒業まで続けました。その中で、「ありがとう」「ごちそうさま」と言っていただける喜びを感じました。
大学卒業後、偶然、求人を見つけた高島市内ホテルへ就職しました。ファミリーレストランのサービスはマニュアル以外のことはできません。一方、ホテルでは、お一人おひとりに合ったおもてなしが出来ることに、喜びを感じる仕事です。

高島の魅力を発見!高島の方にも伝えたい

転機は、当ホテルが地産地消の取り組みを始めた2009年頃でした。高島市内の農業者、漁業者、水産加工業者、醸造業者などを訪ね、地域から食材を集め、メニューを作ることになりました。
そこで出会った方々のお話に、高島の魅力を発見しました。
地元の良さや魅力にはなかなか気づかないものです。高島の方に高島の良さを伝えたいと「湖彩倶楽部」を始めました。職員が自主的に琵琶湖や高島に関する勉強を始め、酒蔵や史跡などを訪ね、魅力的な日帰りツアーを組んで、地域の方へ発信しています。参加者は、地元の方より、市外の方や移住して来られた方が多いですが、自分の勉強にもなり、観光に来られたお客様に説明できることも増えてきました
地域を紹介する楽しさとお客様の心のこもった「ごちそうさま」にさらに喜びを感じるようになりました。

 Episode 15

荒木 陽平さん 京都市生まれ。
2006年、TSC入社。
一児の父。周囲には自然が多く、琵琶湖にバス釣りに行くのが楽しみです。自宅と仕事場が近いことも高島の魅力だと思います。

スポーツで地域を元気に

スポーツを職業にしたい

小学生からずっとサッカーをしていて、高校生の頃、将来はサッカーに関り、スポーツを職業にしたいと思っていました。大学はスポーツ学部でスポーツマネジメントを学びました。
大学在学中、NPO法人TSC(以下「TSC」)の前身であるTAKASHIMA SPORT CLUBの設立に向け、同期で友人でもある北川渉君が準備に奔走していました。彼は、彼の地元である高島の子どもたちに、高いスポーツ技術を学べる機会を提供し、地域からプロアスリートが誕生することで高島を活性化したいと考えていました。専門の先生に協力を依頼したり、子どもたちの指導をしないかと学生に声をかけたりと日々奮闘していました。
私にも子どもたちの指導に来ないかと声をかけてくれ、TSCで「たいいくの学校」というプログラムの指導に参加するようになりました。

子どもたちの夢を応援

TSCで新規にフットボールアカデミーを開講してほしいとの要請もあり、何よりスポーツに関わり、スポーツで仕事をしたいと思っていたので、卒業後すぐにTSCに就職しました。4月に就職してから7月のフットボールアカデミー新規開講に向けて、小中学生対象に体験会を開催したり、右も左もわからない高島で奮闘していました。
最初は、体験会の参加者から1名のみの入会でした。指導者はどこの馬の骨とも分からない大卒すぐの若者だし、地域のスポーツ少年団が活発に活動していましたし、スポーツを学ぶのにお金をかける文化もまだまだ少なかったと思います。思うように会員が伸びない時期が続きましたが、子どもたちが少しずつ集まり、「ここに来たから、強くなれた」「TSCは楽しい」という嬉しい声をいただき、約10年が経過した現在、フットボールアカデミーの会員は70名程になっています。
週に1回~4回、各自の目指すレベルに応じて練習しています。TSCでの学びが各自のチームでの活躍につながったり、地区選抜に選ばれる子がいると、指導者としてやりがいを感じます。より高いレベルを目指している子もいるので、さらに指導力を上げ、一人ひとりに合った指導の充実を図っていきたいと思います。

プロスポーツ選手を目指す子どもが集まる地域に

高島市はスポーツ施設が充実しており、これらの施設をフルに活用し、プロスポーツ選手を育成出来る環境を整えたいと考えています。学校と連携して施設の利用者が少ない平日の日中にトレーニングを行えるような中高一貫アカデミーを作ったり、世界基準で指導できる指導者の招致であったり、高島の地から世界で戦うことが出来るスポーツ選手を地域の人々とともに育成していきたいですね。

 Episode 16

島本 達さん 高島市生まれ。
2004年、高島郡森林組合(現、高島市森林組合)に就職。
1児の父。休日は、家族サービスで、子どもの好きな工事車両などを見に行きます。

もっと木について学びたい

森林や自然の中での仕事が身近だった

実家にも祖父が所有する山があり、自分が産まれた時には杉を植えたそうです。子どもの頃は森林で遊んでいましたし、自然の中での仕事は、身近な存在でした。高校時代、森林にさほど興味があった訳ではなかったのですが、森林組合の求人を見て、自然に就職を考えていました。
森林組合は、組合員さんの所有する山の管理と間伐した木材の販売が主な事業です。山の作業は、植林された杉や檜などの枝を切る枝打ち、林の下に生えた草を刈る下刈り、雪の重みで寝てしまった木を起す木起し、そして間伐の作業があり、現在、これらの作業は組合請負作業班に作業をしてもらっています。
間伐した木材の販売は、年に2、3回、木材市場を開催しています。また注文に合った木を選定し製材所や工務店などに販売しています。
入組してずっと配属は業務課で、主に販売を担当していますが、最初は先輩と一緒に山の所有者に会い、測量を学び、現場の作業確認をしたり、市場で木材の勉強をしたり、とにかく先輩について現場で学びました。山は手を加えるときれいになり、新しいことを学ぶ日々に、おもしろさを感じていました。
入組して11年になりますが、今も木材の選別は難しく、すでに退職されたのですが19年間木材の選定に携わってこられた先輩に連絡して相談することもあります。

注文に合った木を選び、木に合った売り先につなぐ

木が少しでも高く売れたときは、やりがいを感じます。利益を山の所有者へ返すことが最大の目的です。それには、工務店などから受けた注文に合った木を選び、出荷することが重要です。また木材市場を開催し、木に合った売り先につなげることも大切です。
後輩にも教える立場になり、教える難しさを感じながら、仕事の楽しさを伝えられればと思っています。林業では、特殊な免許が必要というイメージがあるのですが。免許の数は自慢です。大型自動車、大型特殊から重機、クレーンなど12、3種類ほどの免許を持っています。入組してから取得しました。安全に作業するために必要なもので、組合では免許を取得するための支援があります。林業で働くことをめざしているなら、先行して取得しておくのもいいと思います。

 Episode 17

西沢 勝仁さん 高島市生まれ。
2010年、一炉庵に修行に入る。2015年、とも栄菓舗に入社。
生まれ育った高島は、人のつながりをどこでも感じる地域だと思います。地域の中で、材料も人もつながり、回っていると感じます。

魅力と深みのある和菓子の世界

子どもの頃から和菓子店を継ぐと考えていた

思い返すと、物心つかない頃から、祖父に「跡を継ぐのだ」と刷り込まれていた気がします。自分でも高校を卒業したら和菓子の修行へと思っていました。しかし、母の勧めもあり、大学へ進学しました。将来に役立つと思い、商学部で経営を学びましたが、大企業に関するものが多く、中小企業についてはあまり学べませんでした。アルバイトで学んだことが多かったですね。
全国チェーンのピザ店で、時間帯責任者として、周囲を見て仕事をすること、スタッフを見て適切な声かけをすることなど、チームマネージメントを学びました。また、ピザの配達コンテストもあり、日本代表に選ばれて海外にも行きました。一生懸命やれば結果につながると肌で感じた経験でした。
英語の勉強が好きで、卒業前にオーストラリアへ短期留学をしたのは楽しい思い出です。卒業直前は、店を継ぐプレッシャー、和菓子修行に対する不安が高まってきていました。
大学卒業後、東京の創業百年余りの一炉庵で5年間修行しました。この店は、原材料を仕入れ、一切機械を使わず、その日に店で販売する分を毎日、全て手作業で作っています。全てを手で作る和菓子作りを学びながら、若手技術者が挑戦する東和会の品評会へ毎月出品しました。優秀作品は東和誌という冊子にカラーで掲載されます。カラー掲載を目指して、出品し続け、修行4年目から作品がカラーで掲載されるようになりました。

和菓子の技術を磨くこと、経営者の感覚と知識を身につけること

28歳で戻り、今、半年が経ったところです。とも栄のやり方を一から学んでおり、分からないことがたくさんあります。自分は鈍くさいので、時間はかかりますが努力しています。また、店の経営についても課題を感じています。人口減少の中、年配の方には和菓子をお買い上げいただいていますが、若い方に和菓子を伝え、お客様になっていただかないと 続かないと感じています。日本人には、和菓子とお茶でホッと心が和む感性があり、和菓子は誰にとっても馴染むものになるはずだと思っています。
和菓子の大規模店の経営に関心を持っています。大阪の青木松風庵を見学し、衝撃を受けました。機械を使って大量に作っておられるのに美味しく、和菓子もビジネスとして成り立つ事を目の当たりにしました。今後、さらに和菓子の技術を磨くこと、そして経営者としての感覚と知識を身につけることを目指していきたいと思っています。

 Episode 18

川越 聡さん 高島市生まれ。
2013年に高島市商工会へ。
現在6歳と1歳の父。高島市の個性は「SLOW」だと思います。精神的にゆったりした中で生まれる創造力やコミュニケーション力がクリエイティブな起業に合っていると感じます。

信頼とより高度な経営支援をめざして

信頼関係が大切な仕事

大学は経済学部へ進学しました。卒業後、建設業を営む個人事業者や建設業従事者のための組合に就職しましたが、2009年に滋賀県商工会連合会へ転職しました。 商工会は、小規模で経営されている地域の事業者さんを応援し、地域経済の発展を支える組織です。記帳代行や経営に関する相談に対応したり、補助金などの支援制度をご紹介したり、異業種交流の支援などをしています。最初の1年半は、湖南市商工会に配属となり、会員である事業者さんを訪問し、記帳の相談や共済保険の説明などをしました。多くの人と接する仕事におもしろさを感じました。
次に、大津北商工会へ異動し、記帳業務の他に、指定管理を受けた大津市の施設の管理運営を担当しました。運営では、施設長、嘱託職員、アルバイトなど様々な立場のスタッフの調整に気を使いました。また遊具などの管理では、故障や利用者のケガなどもあり、大津市と折衝をすることも多く、2年間、とにかく神経を使うことが多かったですね。

現在は記帳代行は20社ほどを担当し、会員さんの巡回と経営指導をしています。記帳は、できるだけご自身で記帳できる「ネットde記帳」をご利用いただけるようにサポートしています。会員さん自身が経営状態を把握できますし、商工会でもデータを共有し、ご相談などに対応しやすくなります。
巡回では、「どうですか?」と会話する中から、会員さんの困りごとをお聞きし、ご利用いただける補助金制度や融資の仲介などを通して、経営改善への支援をしています。例えば、補助金制度では、小規模事業者持続化補助金制度を使った販路開拓支援。融資では日本政策金融公庫の融資制度や滋賀県中小企業振興資金融資制度等の活用による金融支援をしています。経営支援は、経営状態を把握しないとできません。会員さんにとっては、経営状態を赤裸々に説明することになるので、お互いの信頼関係が無いと相談していただけません。

厳しい経営状態の会員さんの相談対応で、会員さんに合った金融支援を行ったことがありました。踏み込んだ経営支援により、経営状態が改善された時は、よかったと感じました。必要とされている方に適切な情報をつなぎ、持続的な経営のために寄り添いながらサポートをする仕事です。結果につながる場合ばかりではありませんが、会員さんそれぞれの経営状態に合ったサポートができるようになりたいと思っています。
商工会に就職後、ファイナンシャルプランナー 2級を取得しました。人生の段階毎にどんなお金が必要で、どのように準備していくのかについて相談に対応できます。商業に関する資格は、社会保険労務士、販売士、税理士など多種ありますが、より高度な経営相談に対応できるように、中小企業診断士の資格をめざして勉強しています。

 Episode 19

西中 彩乃さん 高島市生まれ。
2012年、高島市民病院で医療事務を経験。2015年、高島市役所へ入庁。
高島は地元であり、お互い様が生きている地域だと感じます。周りの人が助けてくれる近所づきあいがあり、おはよう、いってらっしゃいとご近所との挨拶にホッとできます。

福祉制度に関心を持ち、高島へ

企業で働く自分がイメージできない

京都の大学で西洋史学を学びました。小さい頃から祖父母と暮らし、高齢になり徐々に体が不自由になる姿を見て、福祉に興味も感じていました。進学では、福祉関係で学ぶ方が就職は有利だと言われ、最後まで悩みましたが、一番興味を持っていた歴史を学ぶことを選びました。高校生の頃は、自分が何に向いているのか、よく分からなかったですね。
大学では歴史を学び、調べ、研究する中で、実はよく知っている歴史が虚構であることに気づき、固定概念が崩れることもありました。歴史を学ぶことで、ものの見方が柔軟になったと思います。しかし、就職では苦労しました。学んだことを、実社会の何に活かせるのか、なかなか整理できず、言葉にできなかったこともありました。また、販売などで利益を上げることに関心が低く、採用試験や面接を受けながら、企業で働く自分がイメージできなかったということもありました。採用試験はエントリーシートだけで不採用になったものも含めると50社くらい受けましたね。

医療事務の経験から福祉制度に関心が向いて

卒業前に、高島市民病院の医療事務の派遣が決まり、3年間、外来会計と入院会計の窓口で仕事をしました。会計窓口では、長期入院の方や妊婦さんなどさまざまな方と出会う機会をいただきました。患者様から福祉医療制度についての相談に対応する機会もあり、自治体の制度や福祉制度にも関心が向きました。そして、関心が向いた高島市の福祉制度について自分なりに調べ、高島市役所の採用試験を受験し、今年度からの採用が決まりました。

「ありがとう」にやりがいを感じて

保険年金課で仕事を始め、一年が経とうとしています。保険年金課は、年金資格取得に関すること、後期高齢者の医療給付に関すること、福祉医療費に関することなど、窓口で申請書の書き方や制度について説明することが多い課です。窓口に来られる方は高齢の方や若い方などさまざまですが、分かりやすく説明できて、「よくわかったよ。ありがとう」と言ってもらえるとうれしく、やりがいを感じます。
まだ一年目なので、目の前の仕事をこなすのに精一杯の毎日ですが、もう少し全体を見て仕事できるようになりたいですね。今後も福祉関係で仕事を続けたいと思います。制度などについて知識と経験を持って、また市民病院で仕事できるのもいいですね。市民生活に近い市民課で戸籍に関する仕事も良い経験になると先輩から聞いていますので、そちらにも興味を持っています。結婚してもずっと続けたい仕事だと思っています。

 Episode 20

桂田 幸子さん 高島市生まれ。
1995年に安曇川はこぶね保育園に就職。
現在2児の母。高島市は時間がゆっくり流れ、一人でがんばらなくても、周りの人や近所の人が助けてくれる地域性に「豊かさ」を感じます。

自分が育った保育園で、子どもの成長を支える

自分の育ちをふりかえる

京都の短大で幼児教育学科を専攻しました。4歳からピアノを習っていて、これを活かしたいと考えていました。
卒業後、保育士にならない人も多いのですが、私は実習の中で、楽しく過ごす子どもたちの姿を見て、保育園で働きたいと思うようになりました。実は私、このはこぶね保育園の卒園生で、実習もここに来ました。自身の育った所をふりかえることができたのも、保育園で働くことを決心するきっかけになったと思います。

保育教諭として、母として、成長

1年目は生後10カ月ほどの赤ちゃんクラスの担当でした。赤ちゃんのおんぶもおむつ替えも、毎日が初めてのことだらけで発見と驚きと失敗の連続でした。「分からないことは聞いてね」という先輩の言葉に救われていましたね。見て聞いて学ぶ毎日でした。対外的な興味が湧いてくる2歳児クラスでは、常にポケットに、指人形とか小さなおもちゃを忍ばせていました。「どんな先生なんだろう?」と、子どもたちは関心を向けています。子どもの興味を裏切らない、いつも何か驚きや楽しみをパッと出せる工夫ですね。
お母さんと離れたくなくて泣いていた子が、ある日、お母さんに笑顔でバイバイできるようになる、子ども自身が日々努力して、できないをできるに変える貴重な成長の場面にやりがいを感じます。
現在は2児の母です。思い通りにいかない、1日では足りない!と感じるのは、育児の宿命ですよね。柔軟な考え方をし、要領よく動けるようになったと思います。仕事でも、子どもたちの行動が思うとおりでなくても、待つことができるようになり、お母さん方にかける言葉も変わったと思います。ご家族の立場と子どもの立場、双方向から物事を考え、子どもの心に寄り添い、豊かな人生を歩めるよう家庭と連携を取りながら支えられる、そんな保育教諭になりたいと思っています。

課題は、同世代の保育教諭が少ないことですね。30、40代は結婚や出産を機に辞めてしまうことが多いのですが、託児されるご家族と同年代の保育士がいると安心感もあり、いろいろな相談もしてもらえると思います。私は、幸い実家の側で暮らしていることと、育児に関して理解のある職場で、自分の家庭や体調なども考慮して無理なく働くことが出来ています。結婚する時に園長先生にいただいた「思いっきり幸せになること、生まれたとき、天があなたに命令した事といえば、そのくらいのものですよ」というメッセージは支えになっていますね。